シリーズAで導入される優先株式:清算優先権の仕組みと経営者が注意すべき落とし穴
はじめに:シリーズAにおける資本政策と優先株式
スタートアップがシリーズAラウンドでVCから資金調達を行う際、ほとんどの場合、「優先株式」が発行されます。普通株式のみで運営してきた経営者にとって、この優先株式は馴染みが薄く、その複雑な条項が後々の事業運営や自身のエグジット(IPOやM&A)に大きな影響を与える可能性があるにも関わらず、十分に理解されないまま受け入れてしまうケースが見受けられます。
資本政策は単なる増資の手続きではなく、将来の株主構成、意思決定権、そしてエグジット時のリターン分配を決定する極めて重要な経営判断です。特にシリーズAは、事業が軌道に乗り始め、本格的な成長資金を調達する段階であり、その後のラウンドやエグジットの土台となります。この重要な局面で導入される優先株式、中でもVCのリターン確保に直結する「清算優先権(Liquidation Preference)」は、経営者がその仕組みと影響を深く理解しておく必要があります。
本記事では、シリーズA段階で導入される優先株式の中から、特に重要な「清算優先権」に焦点を当て、その基本的な仕組み、種類、そしてスタートアップ経営者がどのような点に注意し、VCと交渉すべきかについて、実践的な視点から解説します。
なぜシリーズAで優先株式が導入されるのか
シリーズAでVCが優先株式を取得する主な目的は、VC自身のリスクを軽減し、彼らが求める投資リターンを確保することにあります。普通株式は、会社が清算される場合などに、全ての債権者への支払いが完了し、優先株式への分配が行われた後に残った財産について、他の普通株式と同等に分配を受ける権利を持ちます。一方、優先株式は、名称の通り、普通株式に「優先」する様々な権利が付与されています。
VCはスタートアップへの投資というハイリスクな活動を行っており、そのリターンは成功したごく一部の投資先によって支えられています。したがって、投資契約においては、万が一事業が計画通りに進まなかった場合でも、可能な限り投資元本を回収できるような仕組みや、事業が成功した場合に十分なリターンを得られる仕組みを求めます。優先株式に付与される権利は、主にこれらの目的を果たすために設計されています。
優先株式に付与される主な権利には以下のようなものがありますが、特に清算優先権は、会社が清算またはM&Aされる際のリターン分配順位と金額を規定する最も基本的な権利の一つです。
- 清算優先権 (Liquidation Preference):
- 配当優先権 (Dividend Preference)
- 参加権 (Participation Rights)
- 議決権 (Voting Rights)
- 拒否権 (Protective Provisions)
- 情報請求権 (Information Rights)
- 優先引受権 (Right of First Refusal, Preemptive Rights)
清算優先権(Liquidation Preference)とは
清算優先権とは、会社が解散・清算された場合や、M&Aなどの一定の事象(みなし清算)が発生した場合に、残余財産を分配する際に、普通株式の株主より優先的に、かつ、あらかじめ定められた金額を受け取る権利です。
この「あらかじめ定められた金額」は、通常、「投資元本 × 倍率」で計算されます。例えば、1億円を投資したVCが清算優先権1x(1倍)を持っている場合、清算時には他の株主より先に、少なくとも1億円を受け取る権利があるということになります。
清算優先権は、主に以下の2つのタイプに大別され、それぞれエグジット時のリターン分配に大きく影響します。
1. 非参加型清算優先権 (Non-Participating Liquidation Preference)
最も基本的なタイプです。優先株主は、「投資元本 × 倍率」 または、「その時点で保有する株式を普通株式に転換した場合に受け取れる金額」 のいずれか大きい方を受け取ります。
VCはこの権利を行使することで、自身の投資元本を優先的に回収できます。ただし、一度清算優先権を行使して元本を回収すると、残った財産については普通株主として分配を受ける権利は持ちません。つまり、清算優先権を行使するか、普通株主に転換して普通株式として分配を受けるかの選択をすることになります。
エグジット時の会社の価値が十分に高い場合、優先株主は普通株式に転換した方がより大きな金額を受け取れるため、転換を選択します。一方、会社の価値が低い場合(特に投資総額を下回る場合)、清算優先権を行使して元本回収を優先することになります。
2. 参加型清算優先権 (Participating Liquidation Preference)
非参加型と比較して、優先株主にとってより有利なタイプです。優先株主はまず、「投資元本 × 倍率」 を優先的に受け取ります。その上で、残った財産について、普通株式の株主と同等に(または保有株式数に応じて)分配に参加する権利を持ちます。
つまり、優先株主は「優先的な元本回収」と「残余財産への参加」の両方のメリットを享受できます。これは、エグジット時のリターン総額が優先株主に手厚く分配されることを意味し、普通株主、特に創業経営者のリターンを希薄化させる効果がより強くなります。
参加型清算優先権には、さらに「キャップ付き参加型(Capped Participating)」と「無キャップ参加型(Full Participating)」があります。
- キャップ付き参加型: 優先株主が「優先部分の回収+参加部分の分配」によって受け取れる合計金額に上限(キャップ)が設けられているタイプです。例えば、「投資元本×倍率」を優先的に受け取った後、普通株主として参加するが、合計金額が投資元本の○倍を超えない、といった設計が考えられます。
- 無キャップ参加型: 合計金額に上限がありません。会社の価値が高ければ高いほど、優先株主のリターンが大きく膨らみます。創業経営者にとっては、最もリターンが圧迫される可能性があるタイプです。
VCは高いリターンを追求するため、参加型、特に無キャップ参加型を求める傾向がありますが、創業経営者としては非参加型を目指すか、少なくともキャップ付き参加型でキャップ水準を交渉することが重要です。
みなし清算(Deemed Liquidation)条項への注意
清算優先権は、文字通り「清算」された場合に発動する権利ですが、投資契約では多くの場合、「みなし清算(Deemed Liquidation)」という条項が追加されます。これは、会社の解散・清算だけでなく、M&Aによる会社の売却、事業譲渡、あるいは会社の支配権が移転するような取引なども「清算があったものとみなして」、優先株主が清算優先権を行使できる、という条項です。
スタートアップの多くは清算ではなくM&Aによるエグジットを目指すため、この「みなし清算」でどのような事象が含まれるかは非常に重要です。特に、自社が株式交換によって買収されるケースや、事業の一部を譲渡するケースなど、会社が消滅しない場合でもみなし清算の対象となる定義がされているかを確認する必要があります。
みなし清算条項が存在することにより、VCはIPO以外の形でのエグジットにおいても、自身の投資元本やそれ以上のリターンを優先的に確保できるようになります。
清算優先権がエグジット時のリターンに与える影響
清算優先権は、特に会社のエグジットバリュエーションが低い場合や、投資総額があまり大きくない場合に、創業経営者や他の普通株主が受け取れる金額に直接的な影響を与えます。
簡単な計算例を見てみましょう。
- 会社の売却額: 5億円
- VCからの投資額: 1億円(シリーズAで優先株式として投資)
- 清算優先権: 1x(投資元本の1倍)
ケース1:非参加型清算優先権の場合
VCは「投資元本1億円」と「普通株式に転換した場合の分配額」のいずれか大きい方を選択します。
- 普通株式に転換した場合の分配額を計算するには、VCが全体の株式の何%を保有しているかを知る必要がありますが、ここでは話を単純化し、VCの投資前の会社の評価額(Post-money Valuationから投資額を差し引いたもの)を仮に4億円とします。この場合、シリーズA投資後のPost-money Valuationは5億円となり、VCは発行済株式総数の1億円 ÷ 5億円 = 20% を保有することになります。
- 会社売却額5億円のうち、VCが普通株式として受け取れる分配額は 5億円 × 20% = 1億円です。
- この場合、VCは清算優先権(1億円)と普通株式としての分配額(1億円)のどちらを選択しても同じ金額になります。どちらを選択したとしても、VCは1億円を優先的に受け取ります。
- 残った 5億円 - 1億円 = 4億円が、VC以外の普通株主(創業経営者、従業員、既存株主など)に分配されます。
ケース2:無キャップ参加型清算優先権(1x)の場合
VCはまず投資元本1億円を優先的に受け取ります。 * 会社売却額5億円からVCへの優先分配額1億円を差し引いた 5億円 - 1億円 = 4億円が残ります。 * この残った4億円について、VCは普通株主として(上記の例では株式総数の20%分)分配に参加します。 * VCが普通株主として受け取る分配額は 4億円 × 20% = 0.8億円 です。 * VCが合計で受け取る金額は、優先分配額1億円 + 参加部分0.8億円 = 1.8億円 となります。 * VC以外の普通株主が受け取る金額は、残った 4億円 - 0.8億円 = 3.2億円 となります。
この例から分かるように、同じ「1xの清算優先権」であっても、参加型の場合は非参加型よりもVCのリターンが手厚くなり、その分、普通株主(創業経営者含む)が受け取る金額が減少します。特に会社の売却額が低い場合や、投資金額に対するVCの持分比率が高い場合は、参加型清算優先権による希薄化効果が顕著になります。
VCとの交渉における清算優先権の論点
清算優先権は、投資契約の交渉において必ず論点となる重要な条項です。経営者が理解し、交渉すべき主なポイントは以下の通りです。
- 倍率(Preference Multiple): 投資元本の何倍を優先的に受け取るか、という倍率です。一般的には1xが標準とされますが、稀に1.5xや2xを要求されることもあります。倍率が高くなるほど、VCのリスクは軽減されますが、エグジット時の普通株主への分配額は減少しやすくなります。可能であれば1xを目指し、それ以上の倍率を要求された場合は、その理由をしっかり確認し、他の条件とのバランスを検討する必要があります。
- 参加型か非参加型か(Participation): 前述の通り、参加型か非参加型かはエグジット時の分配に大きな影響を与えます。創業経営者としては、非参加型を目指すことが望ましいです。参加型を要求された場合は、キャップ付き参加型にして、キャップ水準をできるだけ高く設定するなど、交渉の余地があります。
- みなし清算の定義(Definition of Liquidation Event): どのような事象が「みなし清算」に含まれるかを確認します。M&Aや事業譲渡など、自社が将来起こりうるエグジット戦略と照らし合わせて、不利益になるような定義になっていないか、弁護士などの専門家とともに慎重に確認する必要があります。
- 優先順位: 将来複数の優先株主(シリーズA、シリーズBなど)が存在する場合、それぞれの清算優先権がどのような優先順位を持つかを確認します。通常は投資ラウンドが新しい方が優先順位が高い(Last-in, First-out: LIFO)とされますが、ラウンド間で優先順位を揃える(Pari Passu)こともあります。
創業経営者が注意すべき落とし穴と実践的視点
清算優先権に関して、スタートアップ経営者が陥りやすい落とし穴と、それを回避するための実践的な考え方を以下にまとめます。
- 落とし穴1:バリュエーションだけを見て、清算優先権の内容を軽視する 高いバリュエーションでの資金調達は魅力的ですが、その裏返しとして、VCがより厳しい条件(高い清算倍率、参加型、広範なみなし清算など)を要求してくることがあります。バリュエーションが高くても、清算優先権の条件が厳しすぎると、いざM&Aでエグジットという際に、売却額に対する自身の受け取り分が想定外に少なくなる、という事態が発生し得ます。「ダウンラウンド(前回より低いバリュエーションでの資金調達)」だけでなく、「バリュエーションは上がったが、優先条項が厳しくなった」結果、実質的な価値が損なわれるケース(これを「構造的なダウンラウンド」と呼ぶこともあります)もあることに注意が必要です。 実践的視点: バリュエーションと優先条項はセットで検討すべきです。総額で、自身を含む普通株主が将来どの程度のリターンを得られる可能性があるのか、複数のエグジットシナリオ(例:投資額の数倍でのM&A、高バリュエーションでのIPO)を想定してシミュレーションを行うことが重要です。
- 落とし穴2:専門用語の意味を曖昧なままにする 清算優先権だけでなく、投資契約には様々な専門用語が登場します。「みなし清算」の定義、「参加」の具体的な計算方法、「キャップ」の適用範囲など、曖昧な理解のまま署名してしまうと、後々予期せぬ不利益を被る可能性があります。 実践的視点: 契約書の内容は、弁護士などの専門家と協力して、全ての条項を丁寧に理解することが必須です。疑問点はVCに遠慮なく質問し、納得いくまで説明を求めるべきです。
- 落とし穴3:将来のファイナンスやエグジット戦略を見誤る シリーズAの条件は、将来のシリーズB、Cといった追加の資金調達や、最終的なエグジット戦略(IPOを目指すのか、M&Aを目指すのか)に影響を与えます。例えば、清算優先権の累積額が売却想定額に対してあまりに大きくなってしまうと、将来のM&Aが難しくなる可能性もゼロではありません。 実践的視点: シリーズAの資本政策は、その後の資金調達戦略やエグジット戦略と整合性が取れているか、長期的な視点で検討する必要があります。VCとの交渉においても、自社の将来のビジョンや戦略を伝え、それに合った条件を模索することが大切です。
まとめ
シリーズAラウンドで導入される優先株式、特に清算優先権は、スタートアップの将来の資本構成とエグジット時のリターン分配に大きな影響を与える重要な要素です。単に資金調達の金額やバリュエーションだけでなく、清算優先権の倍率、参加型か非参加型か、みなし清算の定義といった条項を深く理解し、VCとの間で適切に交渉することが、創業経営者自身の利益を守り、事業の成長に最適な資本政策を構築するために不可欠です。
資本政策の設計や投資契約の交渉は専門的な知識が求められます。本記事で解説した清算優先権の基礎知識を踏まえつつ、必ず経験豊富な弁護士やファイナンシャルアドバイザーなどの専門家の支援を得ながら進めることを強くお勧めします。自社の事業成長と、関わるすべてのステークホルダーのリターン最大化を目指し、戦略的な資本政策を実践していきましょう。